平安時代のトイレ

平安時代のトイレ事情〜当時の屋敷の中はつねに臭かった?

平安時代のトイレ事情〜当時は屋敷中が臭かった?

平安時代に暮らす人々はどのように用を足していたのでしょうか?

 

現代のような水洗トイレは存在していなかったので、決して衛生面も良かったとはいえないでしょう。

 

ここでは、意外と知られていない平安時代のトイレ事情について詳しく紹介してみたいと思います。

 

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平安時代の「樋箱(ひばこ)」と呼ばれるトイレ

平安時代の人々は、「樋箱(ひばこ)」に用を足していたとされています。

 

樋箱とは現代の「おまる」に相当する木製の箱であり、一般庶民はもちろん、かの有名な貴族たちも樋箱を使っていました。

 

身分が高い者でさえ、樋箱に用を足すことが当たり前だったのです。

 

ただし、樋箱の管理は自分より身分の低い「樋洗(ひすまし)」と呼ばれる人々にさせていたと言われています。

 

樋洗は排泄物が溜まった段階で川まで排泄物を捨てに行きました。とは言え、どの屋敷にも樋洗がいた訳ではなく、一般庶民は自分自身で管理を行っていました。

 

そのため、平安時代の家屋は総じて「臭かった」と言われています。

 

平安時代を舞台とした時代劇などで「お香」を炊いている光景を見ますが、これは便や尿の臭い消しの目的で炊いていたことも多いようです。

 

また、当時の人々は風呂に入るという習慣がほとんどなかったため、体臭を消すためという理由もありました。

 

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「樋殿」と呼ばれる空間があった

現代のトイレは基本的に個室ですが、当時は「すだれ」や「屏風」で仕切った一畳程度の間に樋箱を設置し、人々は用を足していました。

 

その空間のことを「樋殿(ひどの)と呼び、主に貴族が暮らす屋敷や役所に設けられていました。

 

また、丈の長い着物を着用していた当時の位の高い女性たちは、一人で用を足すのが困難だっため、侍女と呼ばれるお世話係が同行していました。

 

樋殿は一畳程度の狭い空間であり、彼女たちは着物を何枚も着重ねしていたため、用を足すのも一苦労だったとされています。

 

 

なんと野糞をする人も多かった?

樋箱は平安時代の一般的なトイレでしたが、中にはこれを利用せず、道端に穴を掘って用を足していた人もいました。

 

一般的な生活を送るのが困難で、身分も相当低い人々が野糞をしていたようです。誰もが樋箱を使えるわけではなかったのですね。

 

また、道端で排泄をする庶民の多くが、「高下駄」を履いて用を足していました。

 

その理由として、「裾周りを汚さないため」というのが有力です。男性はともかく、特に女性は用を足す際に裾周りを汚してしまう可能性があったのですね。

 

ちなみに、当時は「紙」がとても貴重でした。そのため現在のようなトイレットペーパーが存在せず、庶民は「糞ベラ」と呼ばれる木で尻を拭いていたとされています。

 

糞ベラは短冊状にカットされており、紙のように柔らかくはないものの、庶民には重宝されていました。

 

平安時代の後期には、穴を掘って便を汲み取る「くみ取り式便所」が登場します。

 

これは、排泄便による衛生面の悪化を改善するために考案されました。設置も簡単だったため、日本ではその後数百年にわたり、くみ取り式便所が主流となります。

 

ちなみに、私たちが普段から利用している水洗トイレや男性用トイレが初めて登場するのは20世紀に入ってからです。

 

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